令和元年お施餓鬼コンサート
令和元年6月2日晴天の中、沢山の方にご参列頂き徳星寺住職導師のもと
大施餓鬼会法要が厳修されました。
法要前には古河出身でサックスの渕岡涼さんとピアニストの藤田美歩さんを
お呼びして、コンサートが行われました。
若さ溢れるお二人の演奏は、聴衆の心も若返らせてくれ、和やかで心温まる
心地よい演奏会になりました。
平成30年お施餓鬼コンサート🎵
6月3日、マリンバアンサンブル『カラフルローズ』の皆さんをお迎えして
お施餓鬼法要コンサートを行いました。
少し暑い日になってしまいましたが、梅雨入り前で、からっと爽やかな風とともに
マリンバの他にもたくさんの打楽器を含めた、楽しいく力強い演奏をして頂けました。
自分の発言は責任を持とう
平成29年8月13日
ACジャパン(旧 公共広告機構)の昔話の桃太郎を題材にしたテレビCMを見たことありますか?東日本大震災の時はよく見かけたACジャパンのCM。キー局では最近あまり見られなくなりましたが、うちの息子はなぜが群馬テレビが大好きでよく見ているので、我が家ではACジャパンのCMがよく流れています。
内容は、川で洗濯をしていたおばあさんが、流れてきた大きな桃を手に取った瞬間、「窃盗だろw」と吹き出しが出たと思ったら、次々と吹き出しが出てきて「子供が真似したらどうするんだ」「警察に届けないの?」「桃の気持ちを考えたことあるの!」「通報!通報!」「家族も許すな」「懲役何年?」「謝罪会見まだ?」などとネット炎上してしまいます。慌てておじいさんがおばあさんの所へ駆け寄って行き「悪意ある言葉が人の心を傷つけている。声を荒げる前に、少しだけ考えてみませんか?」という美輪明宏さんのナレーションが入って終わるCMです。個人のSNSや企業広告などから非難の火種がどんどん燃え広がり、悪意ある言葉や批判の声が殺到してしまう、現代日本のネット社会をユーモラスに描き風刺したものになっています。
自分の立場を上にして人を言い負かして自分のご都合を通そうとしたり、匿名だと気が大きくなるのか、自分の発言に責任を持たず平気で安易に誹謗中傷することがまかり通ってしまうこの社会がとても恐ろしく感じました。
確かにネット社会が普及した今、分からないことはすぐ調べられるし、欲しいものも簡単に手に入り、何でも便利になってきました。
しかし、便利になればなるほど、人は、待つことを忘れ、人を許せなくなり、気が短くなって大らかさがなくなるような気がします。そして次第に人間らしさを失われてしまうのではないでしょうか。
ですから私達は、普段から多くの人やモノや命に助けられ、許されている事に気づき、感謝しなければなりません。毎日、御先祖様や仏さまに手を合わせ、心を落ち着かせて祈る事こそが、人として自然な姿だと思います。 合掌 祐海
生きているだけで素晴らしい
平成29年1月1日
日テレの『24時間テレビ』など今までのメディアは、障害者は特別でかわいそうという感動を作り上げ、健常者の上から目線の番組制作が多かった中、バリバラは今までにない、かなり切り込んだ面白い番組になっています。
12月11日のバリバラでは、『突撃!障害者殺傷事件』と題して19人が殺害され、27人が重軽傷を負った相模原障害者殺傷事件についての番組でした。とても悲惨な事件だったにも関わらず被害者の名前もどんな人だったかもほどんど伝えられず、世間ではすでに事件のことも忘れつつあるのでは?ということで事件が起きた施設『やまゆり園』に行ったり、元職員の方や被害にあわれた方やその家族に取材をしています。
事件発生後には、バリバラ宛てに五百通を超える意見が寄せられ、その中には容疑者の意見に賛同する声もあったそうです。そして、容疑者の考えを理解できてしまうという三十代の男性と番組レギュラーの玉木幸則さんとの対談があり、なぜ男性が容疑者の考えに共感したのか話を聞いています。対談の中で男性は「僕は健康な健常者だから他人事なんですよ、結局。」と言っていました。
この男性はよくテレビに出てこれたな、容疑者の考えに賛同するなんてよく言えるなぁ…と思ったけれども、健常者同士だって立場が弱い人が悪い、いじめられる方が悪い、何か問題があるからいじめられるのだという図式が蔓延し電通の過労死問題やいじめの問題が後を絶たないと考えると、障害やいじめについて差別することや自分には関係ない事と思うのは、全ての人の心のどこかに潜んでいるのでは?と思いました。また障害と言っても一つではないので、障害者同士も、自分の方が大変とかあの人よりはましかな、などと差別しているかもしれません。
一人一人の違いがあることを100%は理解出来なくても少しでも分かろうとする努力が必要なのではありませんか。そして尊い命があるだけで生きる価値がある事に気づいて欲しいものです。 合掌 祐海
お施餓鬼コンサート開催しました❗
6月5日(日)オカリナ&トランペット奏者の茨木智博さんとピアノ奏者の森悠也さんをお迎えしてお施餓鬼法要コンサートが開かれました❗
梅雨入りした本日、空模様を心配しましたが爽やかな風と空気に包まれ、オカリナの素朴な音色とトランペットの伸びやかな音色そして軽快なピアノの演奏でとても素敵なコンサートになりました。
2016年初詣は徳星寺で
1月1日元旦 午前10時~11時に
徳星寺本堂にて元旦護摩法要を行います!
家内安全・厄除け・身体健全・商売繁盛・
合格祈願・心願成就などの祈願をします。
参拝者には、祈願した護摩納豆とけんちん汁を差し上げます。
是非、お参り下さい。
今日からお彼岸です!
今日から一週間(26日)までお彼岸です。
お墓参りに行きましょう!
沢山のいのち(仏様)に生かされてることに感謝し、心が穏やかに過ごせますよう、手を合わせましょう。
番犬ララ
6月7日 マリンバ&ピアノコンサート開催します
6月7日(日)に大施餓鬼会マリンバ&ピアノコンサートがあります。どなたでも無料で自由にご覧頂けますので、どうぞお越し下さい。
開場 13:30
開演 14:00~14:50
場所 徳星寺本堂
思いやりの心
平成27年1月1日
昨年の九月から十二月のクールでやっていた「ディアシスター」というドラマ知ってますか?最終回まで見ちゃったけど…あるシーンにだけは「ちょっと待ったぁ~!」と言いたくなってしまいました。
そのドラマは、しっかり者の姉と自由奔放な妹との絆を取り戻す物語。父親は、その姉妹が子供の頃に他界して、この度十七回忌を迎えるにあたり、どうするか相談するしシーン。妹が「お坊さんは呼ばないで、おいしいもの食べて、ホテルに泊まって、温泉にでも入ろうよ」という。姉は真面目なので「きちんと法事した方が良いんじゃないの?」と言うけれど、妹は「お父さんだって、私達が喜んでる方が良いに決まってるじゃない」と言って、結局、お寿司を食べ温泉旅館へと行くというシーン。「え~こんな事、全国放送で言わないで~(泣)」と思いました(笑)。テレビというものは怖いもので、これが真実だ、もしくは良いことだと思わせてしまうからです。
本当に法事なんかやらないで良いものなのでしょうか?そりゃ~誰だって、おいしいもの食べて温泉入るなんて嬉しいし、楽しいですよね。仏さまも私達が元気で笑顔に過ごして欲しいって思っています。
しかし、美味しいもの食べたり温泉入ることは、自分の為の時間であって、仏さまの為の時間ではありません。そんなことはいつでも出来ます。十七回忌の法事はその時しか出来ません。そして、法事というものは、仏さまの供養というのはもちろんの事、仏さまのおかげで自分は生かされていると自分を戒める時間です。私達は、御先祖様、おじいちゃんおばあちゃん、両親、自分と繋がっている事、そして、毎日わがままに生活しているという事に気づき、思いやりの心を取り戻すためにとても大切な行事なのです。面倒くさがらずに、ご縁やご恩などを大切にする、昔ながらの日本人の心が今の私達には必要に感じます。
人生色々
平成26年1月1日
昨年の暮れに行われた全日本フィギュアスケート選手権。ソチ五輪の切符を懸けた戦いということで、世間の皆様も注目していたのと思いますが、私も同様テレビで観戦していました。その中で女子優勝者の鈴木明子選手のインタビューの一コマが印象的でした。ご存知の方も多いと思いますが、彼女は二十八才とベテラン選手でありますが、そのスケート人生は病気を克服したり、なかなか成績が残せないなど、苦しい時期があり、遅咲きと世間からは言われています。今季も調子が上がらなくなった時があり、どうしてもスケートリンクに足が向かなかった時、彼女の母親が「私の為に滑って」と言ったそうです。今まで一度もこの様な事を言われなかった鈴木選手は「お母さんの為ならがんばれる。」と思ったそうです。
この話を聞いて、とある中学校の校長先生の「勉強とは誰の為にやるものですか」とう疑問を投げられた話を思い出しました。「勉強とは自分の為にやるものではなく、人の為にやるものだ。」という内容でした。いつか学校を卒業して社会に出た時に社会に貢献できる人間になる為の勉強なんだ、と。もしまだぴんとこなかっら、「お母さんや家族の為に頑張る」と思っても良いそうです。自分の為に頑張ると思うとすぐ限界が来てしまいますが、人の為に、お母さん・家族の為に等と思えば、苦しくても壁を乗り越えられるそうです。鈴木選手と校長先生の話が同じ内容だったので驚いたのです。
鈴木選手の様なオリンピック選手ではなくても誰だって、立場が違えど、人それぞれに苦労があって乗り越えて生きている。簡単な人生なんてない。それが人生だと思うのです。
ですから、「葬儀は簡単に済ましたい」と言うのを聞くと、悲しく寂しい気持ちになります。亡くなった仏さまが、生前簡単な人生だったって言われているのと同じだからです。私達は、人それぞれドラマがあり、たくさんの方の縁により生かされている命なのです。そして、「死んだら終わり」ではなく、仏様になる誕生日なのです。ですから、残された私達は、温かく心を込めて仏さまの国へ送りたい、そういう葬儀のかたち、心構えをしたいものですね。 合掌 祐海
仏さま基準
平成25年8月1日
今年の夏も猛暑ですね。梅雨らしい季節もなく、六月から暑かった。
街に出かけてみると、働いているお父さん方、頑張っているなぁ~と思いよく見てみたら、駅で見かける人も街にいる人も服装は、結構の割合でジャケットなしのノーネクタイ、クールビズになっていました。「クールビズ」とうたうようになってから、数年たったが、いつの間にか、節電と猛暑でクールビズはすっかり世間に浸透しているようですね。
僧侶の格好といえば、依然旧式のまま。紗の衣は一見透けていて涼しそうに見えるが、実は下に何枚も着ているし、袈裟も着けるのでとても暑い。だから、「クールビズにはならないものかなぁ~、僧侶もクールビズデザインの衣が開発されないのだろうか」と思ってしまうほど。しかし、僧侶の仕事は伝統を重んじるもの。このくらいの暑さじゃ、我慢しなくてはならないのです(汗)。
僧侶の衣について皆様からよく質問を受けるのは、私が色鮮やかな衣を着ているせいなのでしょうか、「衣の色は、好きな色を着て良いのですか?何か決まりがあるのでしょうか?」と色について疑問を持たれる方が多いようです。
僧侶の衣の色は僧階(お坊さんの位)によって異なってきます。私は萌黄(みどりに見えます)で、住職は紫、先代の住職は大僧正(一番高い位)だったので緋色(赤いとも朱色とも違う赤い色)でした。袈裟も形や高い位しか着けられないものなど、決まり事があります。
しかし、これらは外側だから、よく考えてみれば、中身の方が重要ですよね。どんな人間なのか。人や世間の目から見た基準ではなく、もっと視野が広く懐が大きい仏さま基準で観たとき、自分はどんな人間なのか?と追求していくべきですね。ついつい暑いな~とぼやいてしまいましたが、仏さまに近づけるよう、心を大きく、視野をひろく持てるように精進しなければいけませんね。皆様も一緒に頑張りましょう!
ホームページをリニューアルしました
ホームページをリニューアルしました。
花が咲きました!
花が咲きました。
牡丹が開花しました
牡丹が開花しました。
二十年前の私
平成25年1月1日
ちょうど二十年前の今頃の私は、僧侶になろうと決意し、仏教を学ぶ為、大正大学へ入学しようとしていた年でした。あの頃の私は、未知への世界へ飛び込もうという不安と、純粋に仏さまのことを知りたい、僧侶になる勉強がしたいという期待と覚悟、何とも言いがたい、青臭い自分だった事を思い出します。そもそも僧侶になったきっかけは、初めは、元々跡取りとして生まれたわけでもなく、二つ上の兄がいたので、兄が徳星寺を継いで行くものなのかなと子供ながら思っていて、お寺のことは大好きだったけど、正直、自分にはあまり関係ないという思いでした。しかし、私が十六歳の時に兄を亡くし、その時、はじめて、命について、生きることについて、また、死ぬことについて色々未熟ながら考えはじめました。そして、兄は死んでしまったけれど、自分の心の中に生きていると思えたこと。それが、仏さまなんだ、仏さまは自分の中に住んでいると体感したこと。そう思うと心が暖かく穏やかな気持ちになれると気づいた事がきっかけでした。そう思えるまでには実は少し時間がかかりましたが、たくさん涙したとき、ご本尊様、徳星寺に住まわれているたくさんの仏さまに守られていると実感出来たから、前向きな考え方が出来たと思います。徳星寺のご本尊様は、檀家様、信者様が辛いときには、すぐに駆けつけてそばで見守ってくれる存在です。そして、現実を真実を見 つめ明らかにし、穏やかな心にさせてくれるのが仏さまです。仏さまは、決して悲しみや不幸、死を運んでくるものではありません。ですから、死ぬときだけお世話になればいいと思わないで下さい。是非、生きている今から、たくさん仏さまに触れ、仏さまの考え方を学んでいって頂きたい。これは、二十年経った今も昔も変わらない私の願いです。
祐 海 合 掌
お盆
平成24年8月15日
日本人は古来から、年二回御先祖様が帰ってくると信じられてきました。
一つはお正月。
もう一つはそう、お盆。
お盆は迎え火を焚き御先祖様をお迎えし自宅へお連れし、お食事を用意しておもてなしをします。そして、家族親族が一堂に会し、御先祖様を偲び、命の尊さやご縁を感じ生かされている事に感謝する行事です。 しかし、休みもバラバラになってきた今日、なかなか家族親族が一堂に会するということは難しい世の中になってきましたよね。だからといって、何もしないというのは、なんだか寂しい気がします。日本人の美しさが失われて行くような気にもなります。御先祖様をお迎えしておもてなしをする。謙虚の心を忘れず、相手の立場・気 持ちになって考える、この「おもてなし」という心が私たち日本人の美しさの原点ではないかと思うのです。だから、家族親族が一堂に会することが出来なくても、せめて心をこめてお墓参りだけはし て頂きたいと思います。
とここで、時たま質問を受けることがあるのですが…、
お盆で御先祖様をお迎えした後って、お墓は空っぽなのですか?
空っぽならお墓参りする必要はないのですか?
というものです。
確かに単純に考えると自宅へお連れするのだから、お墓は空っぽなのではないかとお考えになるかもしれません。しかし仏さま・魂は私たち人間のように一つの場所にしかいられないとい うわけではないのです。仏さま・魂は自由自在で一つではありませ んから、お盆で自宅へお迎えしているのは仏さまの一部分です。ですから、お墓が空っぽになるということはありません。お迎えした後も里帰りでお子様やお孫様が帰ってきたときはお墓参りをして頂きたいと思います。
祐 海 合 掌
初めまして
平成24年1月1日
昨年、12月11日に徳星寺御詠歌講の皆さんと栃木御詠歌講習会へ行ってきました。講師は徳星寺でもお世話になっている名取芳彦先生でした。先生は御詠歌の他にも布教活動や近年は多数出版される程、精力的に執筆活動もなさっておられている方なので、お話がとても面白いく、その日も期待を裏切らず、楽しく充実した日が送れました。
その講習会の中で、私は先生に「井草さんは何歳になりましたか」 と聞かれましたので、「もう、37歳になってしまいました」と言いました。会場の中で私が最年少の様な感じだったので、先生は「あなたが『もう』、なんて言ったら他の人はどうするのですか?」 と笑いを誘った後、「『もう』と言いましたが37歳は人生で初めてですよね。初めまして37歳ですよ。」と話し始めました。先生は、60でも80でもその年になるのは初めてなのだからどんな年になるのか、どのようなことが起こるのか楽しみで仕方ないそうです。また、「観光名所に行ってここは何度も来たことあるから、皆は先行ってて下さい。私は行かないでふもとの喫茶店でお茶して待 ってますから。」と言う人がいるけれど、2回目行くのは初めてなのだから、もしかしたら2回目だから分かる、感じる事もあるから行って楽しんだ方がよっぽど実りある人生を送れるのではないかという話しもされました。確かに80を過ぎられてお元気な方の話を聞くと、どなたも、「行けるところはどこへでも行く。冥土の土産にするんだから。」と冗談交じりにおっしゃって、はつらつとしています。そう考えると、時間に追われ、もう若くなくて、37歳になってしまったと思った私は恥ずかしくなりました。歳はいくつ重ねても、その年はいつでも初めてという常に新鮮な気持ちを持ち、心にいつも「はり」を持つ生き方こそが仏になる道、幸せの道なのだと感じました。
祐 海 合 掌
いのち
平成23年8月13日
今年の花まつり子供会は、二月に募集をし、たくさんの子供達が参加の申込みをしてくれていたのですが、三月に東日本大震災があり正直、開催すべきかどうか迷いました。しかしこういう時だからこそ開くべきだと、一緒に修行をした仲間から背中を押され開催することにしました。当日は、大きな地震もなく、無事終了できたことが、これほどまでに感謝したのと、ほっとしたのは初めてでした。
子供達に仏さまのこと、いのちのことを知ってもらいたいと思い徳星寺で花まつり子供会を始めてから十一年、今年第九回を無事開くことが出来、そろそろ、外へ飛び出しての布教もしたいと考えていました。そこでお施餓鬼が終わって一息ついた一週間後、娘の祐那が通っていた古河のひまわり幼稚園へ行ってきました。子供達には、一目で「お坊さんだよ」と分かるように改良服に袈裟と数珠を身につけて教室へ入りました。なるべく、簡単に楽しく出来たらと思っていたので、歌や手遊びをしてから、パネルシアターを使い、 食事についての話しを通し、「いのち」について年長さんを対象に話しをしました。女のお坊さんというのも珍しかったのか、子供達は目をまん丸にして、よく話しを聞いてくれました。「たくさんの命を頂いて、私たちは生かされている。一人だけでは決して生きられない。大勢の人々の力によって食事が出来るんだよ。」という話 をしたら、「僕たちもいつかは死ぬの?」という質問がありました。私は「命あるかぎり、誰も必ずいつかは死ぬんだよ。だから、今あるこの尊い命に感謝して生活しましょう。」と話しました。死はまだまだ先のことで、自分の事として考えていなかった子供たちは驚いた様子だったが、素直に受け止めてくれている様子でした。今回子供達にお話をさせて頂いて、子供達の素晴らしい生命力を感じ、ほんの小さな活動ですが、子供達が思春期を迎えるとき頭の片隅に残っていて欲しいと願い、また機会を作り子供達と話をしていきたいと思いました。
祐 海 合 掌
幸せのかたち
平成23年1月1日
悪いことが起きるのは、全部自分が悪いのです。私はただ普通の幸せで良いから、幸せになりたいだけなのに」とおっしゃっている方がいた。私は、普通の幸せって一体何なんだろうと心の中にぽつりと疑問が湧いてきた。
その方は、まるで自分は不幸かのように言う。楽しいことやうれしいことしか人生にないという人はいないのに。何もなくて人生真っ平らなんて人もいないのだ。人それぞれ立場も違うし環境も違う。その中で、人それぞれの悩みや苦しみ、悲しみがあって人生なのだと思う。
そして、自分の命=ほとけ様を感じ、自分は生かされているのだと気づき、感謝しながら毎日を過ごす。これが幸せに繋がっていくものだ『いつも前向きに考える』これだけで日々の生活の中に幸せが生まれてくるのだから…。
◇ ◇
昨年の十二月に小二になる娘の学校で持久走大会があった。前回一年生の時は、どうだった?と聞いた時「ビリじゃないよ。後に先生がいたもん」と答えていた娘。今回も家に帰ってきた時どうだった?と聞いてみた。すると娘は「ビリだった…。でも偉いでしょ!見学者が二人いたんだよ!走らないよりはビリだったけれど最後まで走ったから偉いでしょ!」と言った。常に前向きに考え、くじけないでがんばってる姿は生きるパワーに溢れてると思った。
この間、インフルエンザ予防接種を受けさせるため、小一になる息子を連れて病院へ行った。知的障がいがある息子は、状況理解が出来ないので、怖くて泣いていた。看護婦さん二人と私とで押さえつけて注射を打ってもらった。打ち終わったら泣きながら息子は「みんなありがとう」と言った。何をされているか分からない息子にとって「痛いな~何するんだよ!この野郎!」という言葉でも良かったのに、「ありがとう」という感謝の言葉が出た事に驚いた。
◇ ◇
人の心の不平不満は自分自身が作り出すものまた喜びや幸せと感 じる心も自分自身が作り出すもの。幸か不幸かは自分の心次第。だから、前向きに笑顔で過ごそうではありませんか。仏さまはいつでもあなたを応援しています!
祐 海 合 掌