茨城県古河市 真言宗豊山派 徳星寺のご案内。

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真言宗豊山派 徳星寺
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自分の発言は責任を持とう

                                     平成29年8月13日

 ACジャパン(旧 公共広告機構)の昔話の桃太郎を題材にしたテレビCMを見たことありますか?東日本大震災の時はよく見かけたACジャパンのCM。キー局では最近あまり見られなくなりましたが、うちの息子はなぜが群馬テレビが大好きでよく見ているので、我が家ではACジャパンのCMがよく流れています。
 内容は、川で洗濯をしていたおばあさんが、流れてきた大きな桃を手に取った瞬間、「窃盗だろw」と吹き出しが出たと思ったら、次々と吹き出しが出てきて「子供が真似したらどうするんだ」「警察に届けないの?」「桃の気持ちを考えたことあるの!」「通報!通報!」「家族も許すな」「懲役何年?」「謝罪会見まだ?」などとネット炎上してしまいます。慌てておじいさんがおばあさんの所へ駆け寄って行き「悪意ある言葉が人の心を傷つけている。声を荒げる前に、少しだけ考えてみませんか?」という美輪明宏さんのナレーションが入って終わるCMです。個人のSNSや企業広告などから非難の火種がどんどん燃え広がり、悪意ある言葉や批判の声が殺到してしまう、現代日本のネット社会をユーモラスに描き風刺したものになっています。
 自分の立場を上にして人を言い負かして自分のご都合を通そうとしたり、匿名だと気が大きくなるのか、自分の発言に責任を持たず平気で安易に誹謗中傷することがまかり通ってしまうこの社会がとても恐ろしく感じました。
 確かにネット社会が普及した今、分からないことはすぐ調べられるし、欲しいものも簡単に手に入り、何でも便利になってきました。
 しかし、便利になればなるほど、人は、待つことを忘れ、人を許せなくなり、気が短くなって大らかさがなくなるような気がします。そして次第に人間らしさを失われてしまうのではないでしょうか。
 ですから私達は、普段から多くの人やモノや命に助けられ、許されている事に気づき、感謝しなければなりません。毎日、御先祖様や仏さまに手を合わせ、心を落ち着かせて祈る事こそが、人として自然な姿だと思います。     合掌  祐海

 

生きているだけで素晴らしい

                                               平成29年1月1日

 日テレの『24時間テレビ』など今までのメディアは、障害者は特別でかわいそうという感動を作り上げ、健常者の上から目線の番組制作が多かった中、バリバラは今までにない、かなり切り込んだ面白い番組になっています。
 12月11日のバリバラでは、『突撃!障害者殺傷事件』と題して19人が殺害され、27人が重軽傷を負った相模原障害者殺傷事件についての番組でした。とても悲惨な事件だったにも関わらず被害者の名前もどんな人だったかもほどんど伝えられず、世間ではすでに事件のことも忘れつつあるのでは?ということで事件が起きた施設『やまゆり園』に行ったり、元職員の方や被害にあわれた方やその家族に取材をしています。
 事件発生後には、バリバラ宛てに五百通を超える意見が寄せられ、その中には容疑者の意見に賛同する声もあったそうです。そして、容疑者の考えを理解できてしまうという三十代の男性と番組レギュラーの玉木幸則さんとの対談があり、なぜ男性が容疑者の考えに共感したのか話を聞いています。対談の中で男性は「僕は健康な健常者だから他人事なんですよ、結局。」と言っていました。
 この男性はよくテレビに出てこれたな、容疑者の考えに賛同するなんてよく言えるなぁ…と思ったけれども、健常者同士だって立場が弱い人が悪い、いじめられる方が悪い、何か問題があるからいじめられるのだという図式が蔓延し電通の過労死問題やいじめの問題が後を絶たないと考えると、障害やいじめについて差別することや自分には関係ない事と思うのは、全ての人の心のどこかに潜んでいるのでは?と思いました。また障害と言っても一つではないので、障害者同士も、自分の方が大変とかあの人よりはましかな、などと差別しているかもしれません。
 一人一人の違いがあることを100%は理解出来なくても少しでも分かろうとする努力が必要なのではありませんか。そして尊い命があるだけで生きる価値がある事に気づいて欲しいものです。                 合掌 祐海

 

思いやりの心

平成27年1月1日

 昨年の九月から十二月のクールでやっていた「ディアシスター」というドラマ知ってますか?最終回まで見ちゃったけど…あるシーンにだけは「ちょっと待ったぁ~!」と言いたくなってしまいました。
 そのドラマは、しっかり者の姉と自由奔放な妹との絆を取り戻す物語。父親は、その姉妹が子供の頃に他界して、この度十七回忌を迎えるにあたり、どうするか相談するしシーン。妹が「お坊さんは呼ばないで、おいしいもの食べて、ホテルに泊まって、温泉にでも入ろうよ」という。姉は真面目なので「きちんと法事した方が良いんじゃないの?」と言うけれど、妹は「お父さんだって、私達が喜んでる方が良いに決まってるじゃない」と言って、結局、お寿司を食べ温泉旅館へと行くというシーン。「え~こんな事、全国放送で言わないで~(泣)」と思いました(笑)。テレビというものは怖いもので、これが真実だ、もしくは良いことだと思わせてしまうからです。
  本当に法事なんかやらないで良いものなのでしょうか?そりゃ~誰だって、おいしいもの食べて温泉入るなんて嬉しいし、楽しいですよね。仏さまも私達が元気で笑顔に過ごして欲しいって思っています。
 しかし、美味しいもの食べたり温泉入ることは、自分の為の時間であって、仏さまの為の時間ではありません。そんなことはいつでも出来ます。十七回忌の法事はその時しか出来ません。そして、法事というものは、仏さまの供養というのはもちろんの事、仏さまのおかげで自分は生かされていると自分を戒める時間です。私達は、御先祖様、おじいちゃんおばあちゃん、両親、自分と繋がっている事、そして、毎日わがままに生活しているという事に気づき、思いやりの心を取り戻すためにとても大切な行事なのです。面倒くさがらずに、ご縁やご恩などを大切にする、昔ながらの日本人の心が今の私達には必要に感じます。

 

人生色々

                        平成26年1月1日

昨年の暮れに行われた全日本フィギュアスケート選手権。ソチ五輪の切符を懸けた戦いということで、世間の皆様も注目していたのと思いますが、私も同様テレビで観戦していました。その中で女子優勝者の鈴木明子選手のインタビューの一コマが印象的でした。ご存知の方も多いと思いますが、彼女は二十八才とベテラン選手でありますが、そのスケート人生は病気を克服したり、なかなか成績が残せないなど、苦しい時期があり、遅咲きと世間からは言われています。今季も調子が上がらなくなった時があり、どうしてもスケートリンクに足が向かなかった時、彼女の母親が「私の為に滑って」と言ったそうです。今まで一度もこの様な事を言われなかった鈴木選手は「お母さんの為ならがんばれる。」と思ったそうです。
 この話を聞いて、とある中学校の校長先生の「勉強とは誰の為にやるものですか」とう疑問を投げられた話を思い出しました。「勉強とは自分の為にやるものではなく、人の為にやるものだ。」という内容でした。いつか学校を卒業して社会に出た時に社会に貢献できる人間になる為の勉強なんだ、と。もしまだぴんとこなかっら、「お母さんや家族の為に頑張る」と思っても良いそうです。自分の為に頑張ると思うとすぐ限界が来てしまいますが、人の為に、お母さん・家族の為に等と思えば、苦しくても壁を乗り越えられるそうです。鈴木選手と校長先生の話が同じ内容だったので驚いたのです。
 鈴木選手の様なオリンピック選手ではなくても誰だって、立場が違えど、人それぞれに苦労があって乗り越えて生きている。簡単な人生なんてない。それが人生だと思うのです。
 ですから、「葬儀は簡単に済ましたい」と言うのを聞くと、悲しく寂しい気持ちになります。亡くなった仏さまが、生前簡単な人生だったって言われているのと同じだからです。私達は、人それぞれドラマがあり、たくさんの方の縁により生かされている命なのです。そして、「死んだら終わり」ではなく、仏様になる誕生日なのです。ですから、残された私達は、温かく心を込めて仏さまの国へ送りたい、そういう葬儀のかたち、心構えをしたいものですね。                  合掌 祐海

 

仏さま基準

                       平成25年8月1日

 今年の夏も猛暑ですね。梅雨らしい季節もなく、六月から暑かった。
街に出かけてみると、働いているお父さん方、頑張っているなぁ~と思いよく見てみたら、駅で見かける人も街にいる人も服装は、結構の割合でジャケットなしのノーネクタイ、クールビズになっていました。「クールビズ」とうたうようになってから、数年たったが、いつの間にか、節電と猛暑でクールビズはすっかり世間に浸透しているようですね。
 僧侶の格好といえば、依然旧式のまま。紗の衣は一見透けていて涼しそうに見えるが、実は下に何枚も着ているし、袈裟も着けるのでとても暑い。だから、「クールビズにはならないものかなぁ~、僧侶もクールビズデザインの衣が開発されないのだろうか」と思ってしまうほど。しかし、僧侶の仕事は伝統を重んじるもの。このくらいの暑さじゃ、我慢しなくてはならないのです(汗)。
 僧侶の衣について皆様からよく質問を受けるのは、私が色鮮やかな衣を着ているせいなのでしょうか、「衣の色は、好きな色を着て良いのですか?何か決まりがあるのでしょうか?」と色について疑問を持たれる方が多いようです。
 僧侶の衣の色は僧階(お坊さんの位)によって異なってきます。私は萌黄(みどりに見えます)で、住職は紫、先代の住職は大僧正(一番高い位)だったので緋色(赤いとも朱色とも違う赤い色)でした。袈裟も形や高い位しか着けられないものなど、決まり事があります。
 しかし、これらは外側だから、よく考えてみれば、中身の方が重要ですよね。どんな人間なのか。人や世間の目から見た基準ではなく、もっと視野が広く懐が大きい仏さま基準で観たとき、自分はどんな人間なのか?と追求していくべきですね。ついつい暑いな~とぼやいてしまいましたが、仏さまに近づけるよう、心を大きく、視野をひろく持てるように精進しなければいけませんね。皆様も一緒に頑張りましょう!

 

二十年前の私

平成25年1月1日

 ちょうど二十年前の今頃の私は、僧侶になろうと決意し、仏教を学ぶ為、大正大学へ入学しようとしていた年でした。あの頃の私は、未知への世界へ飛び込もうという不安と、純粋に仏さまのことを知りたい、僧侶になる勉強がしたいという期待と覚悟、何とも言いがたい、青臭い自分だった事を思い出します。そもそも僧侶になったきっかけは、初めは、元々跡取りとして生まれたわけでもなく、二つ上の兄がいたので、兄が徳星寺を継いで行くものなのかなと子供ながら思っていて、お寺のことは大好きだったけど、正直、自分にはあまり関係ないという思いでした。しかし、私が十六歳の時に兄を亡くし、その時、はじめて、命について、生きることについて、また、死ぬことについて色々未熟ながら考えはじめました。そして、兄は死んでしまったけれど、自分の心の中に生きていると思えたこと。それが、仏さまなんだ、仏さまは自分の中に住んでいると体感したこと。そう思うと心が暖かく穏やかな気持ちになれると気づいた事がきっかけでした。そう思えるまでには実は少し時間がかかりましたが、たくさん涙したとき、ご本尊様、徳星寺に住まわれているたくさんの仏さまに守られていると実感出来たから、前向きな考え方が出来たと思います。徳星寺のご本尊様は、檀家様、信者様が辛いときには、すぐに駆けつけてそばで見守ってくれる存在です。そして、現実を真実を見 つめ明らかにし、穏やかな心にさせてくれるのが仏さまです。仏さまは、決して悲しみや不幸、死を運んでくるものではありません。ですから、死ぬときだけお世話になればいいと思わないで下さい。是非、生きている今から、たくさん仏さまに触れ、仏さまの考え方を学んでいって頂きたい。これは、二十年経った今も昔も変わらない私の願いです。

祐 海 合 掌

 

お盆

平成24年8月15日

日本人は古来から、年二回御先祖様が帰ってくると信じられてきました。

一つはお正月。

もう一つはそう、お盆。

お盆は迎え火を焚き御先祖様をお迎えし自宅へお連れし、お食事を用意しておもてなしをします。そして、家族親族が一堂に会し、御先祖様を偲び、命の尊さやご縁を感じ生かされている事に感謝する行事です。  しかし、休みもバラバラになってきた今日、なかなか家族親族が一堂に会するということは難しい世の中になってきましたよね。だからといって、何もしないというのは、なんだか寂しい気がします。日本人の美しさが失われて行くような気にもなります。御先祖様をお迎えしておもてなしをする。謙虚の心を忘れず、相手の立場・気 持ちになって考える、この「おもてなし」という心が私たち日本人の美しさの原点ではないかと思うのです。だから、家族親族が一堂に会することが出来なくても、せめて心をこめてお墓参りだけはし て頂きたいと思います。

とここで、時たま質問を受けることがあるのですが…、

 

お盆で御先祖様をお迎えした後って、お墓は空っぽなのですか?

空っぽならお墓参りする必要はないのですか?

 

というものです。

確かに単純に考えると自宅へお連れするのだから、お墓は空っぽなのではないかとお考えになるかもしれません。しかし仏さま・魂は私たち人間のように一つの場所にしかいられないとい うわけではないのです。仏さま・魂は自由自在で一つではありませ んから、お盆で自宅へお迎えしているのは仏さまの一部分です。ですから、お墓が空っぽになるということはありません。お迎えした後も里帰りでお子様やお孫様が帰ってきたときはお墓参りをして頂きたいと思います。

祐 海 合 掌

 

初めまして

平成24年1月1日

昨年、12月11日に徳星寺御詠歌講の皆さんと栃木御詠歌講習会へ行ってきました。講師は徳星寺でもお世話になっている名取芳彦先生でした。先生は御詠歌の他にも布教活動や近年は多数出版される程、精力的に執筆活動もなさっておられている方なので、お話がとても面白いく、その日も期待を裏切らず、楽しく充実した日が送れました。

その講習会の中で、私は先生に「井草さんは何歳になりましたか」 と聞かれましたので、「もう、37歳になってしまいました」と言いました。会場の中で私が最年少の様な感じだったので、先生は「あなたが『もう』、なんて言ったら他の人はどうするのですか?」 と笑いを誘った後、「『もう』と言いましたが37歳は人生で初めてですよね。初めまして37歳ですよ。」と話し始めました。先生は、60でも80でもその年になるのは初めてなのだからどんな年になるのか、どのようなことが起こるのか楽しみで仕方ないそうです。また、「観光名所に行ってここは何度も来たことあるから、皆は先行ってて下さい。私は行かないでふもとの喫茶店でお茶して待 ってますから。」と言う人がいるけれど、2回目行くのは初めてなのだから、もしかしたら2回目だから分かる、感じる事もあるから行って楽しんだ方がよっぽど実りある人生を送れるのではないかという話しもされました。確かに80を過ぎられてお元気な方の話を聞くと、どなたも、「行けるところはどこへでも行く。冥土の土産にするんだから。」と冗談交じりにおっしゃって、はつらつとしています。そう考えると、時間に追われ、もう若くなくて、37歳になってしまったと思った私は恥ずかしくなりました。歳はいくつ重ねても、その年はいつでも初めてという常に新鮮な気持ちを持ち、心にいつも「はり」を持つ生き方こそが仏になる道、幸せの道なのだと感じました。

 

祐 海 合 掌

 

いのち

平成23年8月13日

今年の花まつり子供会は、二月に募集をし、たくさんの子供達が参加の申込みをしてくれていたのですが、三月に東日本大震災があり正直、開催すべきかどうか迷いました。しかしこういう時だからこそ開くべきだと、一緒に修行をした仲間から背中を押され開催することにしました。当日は、大きな地震もなく、無事終了できたことが、これほどまでに感謝したのと、ほっとしたのは初めてでした。

子供達に仏さまのこと、いのちのことを知ってもらいたいと思い徳星寺で花まつり子供会を始めてから十一年、今年第九回を無事開くことが出来、そろそろ、外へ飛び出しての布教もしたいと考えていました。そこでお施餓鬼が終わって一息ついた一週間後、娘の祐那が通っていた古河のひまわり幼稚園へ行ってきました。子供達には、一目で「お坊さんだよ」と分かるように改良服に袈裟と数珠を身につけて教室へ入りました。なるべく、簡単に楽しく出来たらと思っていたので、歌や手遊びをしてから、パネルシアターを使い、 食事についての話しを通し、「いのち」について年長さんを対象に話しをしました。女のお坊さんというのも珍しかったのか、子供達は目をまん丸にして、よく話しを聞いてくれました。「たくさんの命を頂いて、私たちは生かされている。一人だけでは決して生きられない。大勢の人々の力によって食事が出来るんだよ。」という話 をしたら、「僕たちもいつかは死ぬの?」という質問がありました。私は「命あるかぎり、誰も必ずいつかは死ぬんだよ。だから、今あるこの尊い命に感謝して生活しましょう。」と話しました。死はまだまだ先のことで、自分の事として考えていなかった子供たちは驚いた様子だったが、素直に受け止めてくれている様子でした。今回子供達にお話をさせて頂いて、子供達の素晴らしい生命力を感じ、ほんの小さな活動ですが、子供達が思春期を迎えるとき頭の片隅に残っていて欲しいと願い、また機会を作り子供達と話をしていきたいと思いました。

 

祐 海 合 掌

 

幸せのかたち

平成23年1月1日

悪いことが起きるのは、全部自分が悪いのです。私はただ普通の幸せで良いから、幸せになりたいだけなのに」とおっしゃっている方がいた。私は、普通の幸せって一体何なんだろうと心の中にぽつりと疑問が湧いてきた。

その方は、まるで自分は不幸かのように言う。楽しいことやうれしいことしか人生にないという人はいないのに。何もなくて人生真っ平らなんて人もいないのだ。人それぞれ立場も違うし環境も違う。その中で、人それぞれの悩みや苦しみ、悲しみがあって人生なのだと思う。

そして、自分の命=ほとけ様を感じ、自分は生かされているのだと気づき、感謝しながら毎日を過ごす。これが幸せに繋がっていくものだ『いつも前向きに考える』これだけで日々の生活の中に幸せが生まれてくるのだから…。

◇  ◇

昨年の十二月に小二になる娘の学校で持久走大会があった。前回一年生の時は、どうだった?と聞いた時「ビリじゃないよ。後に先生がいたもん」と答えていた娘。今回も家に帰ってきた時どうだった?と聞いてみた。すると娘は「ビリだった…。でも偉いでしょ!見学者が二人いたんだよ!走らないよりはビリだったけれど最後まで走ったから偉いでしょ!」と言った。常に前向きに考え、くじけないでがんばってる姿は生きるパワーに溢れてると思った。

この間、インフルエンザ予防接種を受けさせるため、小一になる息子を連れて病院へ行った。知的障がいがある息子は、状況理解が出来ないので、怖くて泣いていた。看護婦さん二人と私とで押さえつけて注射を打ってもらった。打ち終わったら泣きながら息子は「みんなありがとう」と言った。何をされているか分からない息子にとって「痛いな~何するんだよ!この野郎!」という言葉でも良かったのに、「ありがとう」という感謝の言葉が出た事に驚いた。

◇  ◇

人の心の不平不満は自分自身が作り出すものまた喜びや幸せと感 じる心も自分自身が作り出すもの。幸か不幸かは自分の心次第。だから、前向きに笑顔で過ごそうではありませんか。仏さまはいつでもあなたを応援しています!

 

祐 海 合 掌

 

感謝の気持ち

平成22年8月15日

徳星寺の御詠歌講「つくしんぼ」は平成元年四月から始まったので 今年で二十二年目になる。当初から参加している講員さん6名は、 長年の功績が認められ、今秋の大師講全国大会で表彰されることになった。六十代で始めた方は八十代になり、身体的にも厳しくなってきた方もいる。また色々な趣味・余暇が楽しめる今日では、御詠歌はただの趣味と言うだけではこれだけ長くは続けられないだろう。

しかし、「暑くて行くのが大変だったけど、来て良かった」とか 「ご本尊様に会えて良かった」とか「来ないと何となく気持ち悪いのよね~」などと言って皆さん笑顔で、御詠歌講に参加して下さっている。これも『信仰心』があってこそ続けられるものと思う。信仰心のある方は、この世は、人間の力ではどうしようも出来ない 大きな力があるということを知っている。だから彼女たちはいつも「お陰様で」や「ありがとう」という言葉が自然に出てくる。生かされているという感謝の気持ちがとても美しい。お腹空けばコンビニへ行き、欲しい情報や物があれば家にいながらインターネットすぐに解決し、どこにいても携帯電話で誰かと話せ る便利な世の中。だからちょっとでも思い通りにいかないと怒り出 したり、挫折感を感じたりしていまう。これは、忙しいという言い 訳で信仰心という美しい心を忘れてしまっている人が増えてきているからだと思う。

今一度、「有り難い」「お陰様」と自然と手を合わせる心を取り戻そう。

 

祐 海 合 掌

 

生きる活力

平成22年1月1日

去年十月七日の読売新聞茨城版に九十二歳でホームヘルパー三級の資格を取得し、生涯現役ボランティアとして九十七歳まで活躍した山崎さんという方の記事を読んだ。九十歳以上の交流会を設立に加わり、その交流会の送迎を担当していたという。とても素晴らしいと思った。自分がその歳まで生きていたら、同じように新しいものに挑戦できるだろうか、甚だ疑問である。

十二月十一日には、娘の学校で持久走大会があった。一ヶ月前か ら学校で持久走の練習が始まった。足の遅い娘はいつもビリ争い。私と娘とで土日は練習しようということになり、可能な限りの土日朝は二人で頑張って走った。大会当日、二十三位だった。欠席者が いたらしく、残念ながら娘は最下位。この話題に触れない方が良いのかなと思いそっとしておいたら、娘がお願いがあるのと言い出した。「これからも土日一緒に走る練習をしてほしい。足が速くなりたいから。」と言った。結果が駄目だったからといって、あきらめないでかえって奮起している娘の姿に驚き、大切なことに気づかされた。 大人になるといつの間にか、これ出来ない、あれ出来ないと自ら可能性を閉ざし、成果の出そうなものしか努力しない。新しいことを始めることだって臆病になってしまう。しかし、新しいこ とに挑戦したり、結果ばかりではなく努力し続けることに意義がある。そして、これこそが生きる活力であり、笑顔の源だと思う。

 

祐 海 合 掌

 

心のゆとり

平成21年8月1日

最近の私は、あっという間に時が過ぎ時間に追われている気がする四月に娘が小学校へ入学したと思ったら、もう夏休みになってしまった。しかも長いと思っていた夏休みも後半に入ってしまっている物忘れも恐ろしいほど多く、心に余裕がないからなのかな…と思う。

そんな中、『聖(セイント)☆おにいさん 中村光 著 講談社』いうおもしろい漫画を見つけた。目覚めた人ブッダ、神の子イエス世紀末を無事に越えた二人は、東京・立川でアパートをシェアし、下界でバカンスを過ごしていた。近所のおばあちゃんのように、細か いお金を気にするブッダ。衝動買いが多いイエス。そんな“最聖” コンビの立川デイズ。という内容で、ゆるゆるコメディーだから、 疲れた心にはぴったりで、ほっと出来るものになっている。違う宗教の祖である二人が、互いの宗教を認め一つの世界で仲良く暮らしている姿が実におもしろい。作者はコメディーだから専門書的にしたくないとインタビュー記事に書いてあったが、この世界観はまさに真言宗の考え方と同じだからまたまたおもしろい。真言宗は、いのちが生まれるところ大宇宙を大日如来と称し、その中に沢山の仏様や神様、命あるすべてのもの、もちろん私たちもいるという考えである。だから、違う宗教、違う人種だからといって喧嘩はしないし、認めないわけでもない。見た目は違っても、中身は一緒。だってもともとは、ひとつなのだから。私たちはどうしてもせかせかと時間に追われ、心を見失われがちだが、もう一度、目を閉じて、この大日如来というおおきなゆりかごにいると言う事を感じ、心を落 ち着かせゆったりと過ごしていきたいものだ。

 

祐 海 合 掌

 

心の豊かさ

平成21年1月1日

私の娘はちょっぴり運動が苦手だが、幼稚園のスイミングスクー ルに通っている。この間スイミングスクールがあった日、幼稚園バスから降りてきた娘の目には、少し涙が浮かんでいた「どうしたの?」と私が聞くと、どうやらスイミングスクールで進級試験があったらしく「お友達はどんどん上のクラスに行って、帽子の色も変わっちゃうし、祐那一人になっちゃうよ」と言っていた。

私は、仏様だったらこの子になんて声を掛けるのだろうと考え、「ラッキーじゃん!!」と言った。娘は目をまん丸にして「どうして?」と聞いてきた。私は「それはね、お友達が沢山いるとなかなか順番が回ってこなくて泳げないけれど、お友達が少ないとどんどん泳げるから良かったじゃない!一番大切なことは、早く上のクラ スに行くことじゃなくて、長く続けて頑張った子が凄いんだよ」と声を掛けた。娘は、「そっか!頑張る!」と言って、また笑顔になり、前向きな気持ちになってくれた。

人の悩みは年を重ねるごとに深くなっていくものだが、『進級したい』『帽子の色が違う』時には『お友達に酷いこと言われた』と泣き、心を傷めている六歳の娘も『昇進したい』『人に傷つくこと言われた』『勝ち組か負け組か』などと悩んで翻弄されている大人の私たちもなんら変わりないではないか。体だけは成長し、心は変わらず、もしくは子供の純粋さがなくなった分、恨みやすくなり、妬みやすくなっている私たち。いつまでこの悩みのスパイラルを続けているのかなと思うと、逆に悩みなんて滑稽で仕方ないと笑えてしまうのは私だけだろうか。

仏様の教えは中道、つまり「こだわるな」ということである。一つのものにとらわれ、こだわり、迷うから苦しいのだ。だから、きちんと悩みと向き合い、そして前向きに考え、肯定的に考えると笑顔になり、心が救われる。

どうか悩まれた時、心が傷んだ時は、仏様ならどう考えられるか考えてみて下さい。仏様はいつでも手をさしのべてくれています。それに気づくかどうかは私たち次第。悩みに留まり続けているのではなく、階段を上るように一歩一歩解決して、心豊かになりたいと思う。

 

祐 海 合 掌

 

感謝

平成20年8月1日

毎朝、テレビでニュースを見ていると、六歳になった娘の祐那は、「消して!消して!怖いよぉ」と言う事が多くなった。それは、少年少女が親を殺してしまったり、親が子供を殺したり、秋葉原無差別殺人の様に猟奇的事件などが多発し、テレビを付けると残虐なニュースが流されているからだ。色んな事が理解できるようになってきた娘とって、大人が思う以上に恐怖を感じるようだ。こんな社会は子供に見せたくないと思うし、もう間もなく親の手を離れ、この社会に出て行くと思うと不安になる。どうしてこの様な社会になっ てしまったのだろう。人間本来の姿素晴らしさが見失われつつある ような気がする。しかし、息子の大雲を見ていると人にとって何が 大切なのかということを気づかせてくれる。

大雲は生まれてすぐ大病を患ったせいで発達障がいになり、とて もゆっくり成長する。普通の子と同じ様に出来ることは少ないが、 最近の大雲は少しお手伝いをしてくれるようになった。もちろん、気が向かないとやってはくれないのだが、大雲にとってはすごい事 なのだ。私が洗濯物を干していると、洗濯籠から洗濯物を取り出し、「どうぞ」と言って渡してくれる。私が「ありがとう」と言うとニコニコっと嬉しそう顔をする。何回かこのやり取りをしていると大雲は『ありがとう』と言われたく「どうぞ」が抜けて「ありがとう」と言って洗濯物を渡してくれる。大雲の得意げな顔見て思わず笑ってしまった。コミュニケーションが取りづらく、マイペース な大雲だけど、障がいがあっても人の役に立ちたいのだなと思い、 これが人間本来の姿なのだと実感した。

自分の利害ばかり考え、自分勝手な行動で周りも自分も傷付けてしまう私たちだけど、小さな事で良いのだから、一日一回人の役に立てる事をし、人間本来の美しさを取り戻そう。そして「ありが とう」という言葉は、素敵で人を幸せにする言葉だと思う。ただ心に思うだけではなく、どんどん声にして伝えるべきだ。また親子でしか交わせない「生んでくれてありがとう」「生まれてくれてありがとう」と言ういのちへの感謝をしたいものだ。

 

祐 海 合 掌

 

謙虚な気持ち

平成20年1月1日

生まれてすぐ大病を患った息子は、発達が遅い、コミュニケーショ ンがとりずらいなどの後遺症がある。そんな息子だが、4月から市立の保育所の年少組に入所できた。

はじめは泣いてばかりいたが半年が過ぎた頃から慣れ始め、今では笑って通えるようになった。なかなか社会に入りにくい子なのだが、先生が一人ついてくれているので安心してみてもらっている。 保育所に受け入れてもらえた事がすごく嬉しく有り難いと思った。私が学校へ通っていた頃を思い出すと学校へ行けるのは当たり前で感謝の気持ちなんてなかった気がする。情けないが、自分が親にな ってみて地域の人々に支えられ学校に通えるのだとはじめて実感した。学校給食費未払いが社会問題になっているが、自分だけの事を 考えるのではなく、地域の人に支えてもらって学校に行かせてもらってるという謙虚な気持ちが必要だと思う。

そして同じ保育所に通っているお友達にも優しく接してもらって いる。実はうちの子にはお友達が出来ないのだろうな…、一緒に遊べないのだろうな…って思っていたのだが「たいちゃん!たいちゃ ん!」と声を掛けてくれ遊んでもらっている。三歳から六歳の小さな子供は自分のことばかり考えてるのかと思っていたが、純粋に弱い子を護ろう、かわいがろうという慈しみの心があるのに驚いたのと同時に感動した。この慈しみの心は人間本来が持つ良いところなのだろうなと感じた。

しかし、段々成長するに従って、自分と違うものを認めない、排除しようという気持ちが大きくなっていき、いじめてしまう気持ちに変わっていってしまう。自分のことばかり考えているのはむしろ大人の方の様だ。権利主張ばかりするのではなく、謙虚さを持ち慈しみの心を持っておおらかに生活していきたいものだ。

 

 

祐 海 合 掌

 

時間

平成19年8月1日

『オーラの泉』という不思議なテレビ番組をご存じだろうか。これは国分太一と美輪明宏とスピリチュアルカウンセラー・江原啓之のトーク番組で、始めは深夜枠だったのにゴールデンタイムに移るほどの人気番組だ。始めに江原啓之が目をつぶり「ふんふん~」と頷きながらなにかと交信している。そして突然「ぶっほぉほぉほぉ~ 」と美輪明宏が笑い出し、江原と「そうよね~。あ~よね~」とこそこそ話をした後、江原がゲストの前世や守護霊・オーラの色はあ~だこ~だと話し始めるのだ。

目に見えない物や科学的に証明されていない物をあたかもある様な如く話し、番組が成立しいるのにびっくりした。テレビで放映されていると、これが事実である様に思われるから不思議だし、ある意味怖いなっと思った。

確かに人間の力が及ばない不思議なことがあると思うし、前世や守護霊を否定するつもりはないが、このような話に惑わされてはい けないと思う。私なんか霊が見えると言う人に人に三百体の霊に取り憑かれているといわれたこともある(笑)。今ある不幸なことを前世やご先祖様のせいにして現実逃避をする人もいるが、今ある現実を素直に受け入れ、明らかにする意味での明きらめが必要であると仏教では説いているからだ。

この間、娘の祐那が夏風邪の一種である手足口病になってしまった。手の平と足と膝、口の中までぽつぽつと発疹が出来てしまう病気だ。熱は三十七度八分位でさほど酷くならなかったのだが、口に出来てしまった発疹が大きな口内炎になってしまい、四日間も何も食べられなかった。小児科の先生にはこの時代餓死する人なんていませんと笑われてしまったのだが…、おしゃべりな娘が一言も話さなくなり、飲食を嫌がるようになってしまったので、このまま餓死してしまうのではと心配した。先生が危機に瀕すれば絶対食べますよと言われた通り、とてものどが渇いたらしく、さっきまで痛がっていたのに急にごくごくと水を飲み出した。「あっ痛くない。しゃべれる」と四日ぶりに娘が話しだした。もやもやした霧が晴れたようにとても嬉しかった。当たり前のことなのに娘と話せてとても幸 せを感じた。

なにかと不幸だと思い、毎日の生活がつまらないものと思うのではなく、本当は生きている今が幸せであり、この命に感謝し、少しでも人のために自分の時間(命)を使うことが大切である。

 

祐 海 合 掌

 

大好き

平成19年1月1日

法事で必ず話していることがある。

それは、お経には、一人一人の心の中に仏さまが住んでいる。その仏さまに早く気付きましょうということが説いてある。仏さまは目に見えないし、触れることが出来ないので、感じることは、難しく思うかもしれないが、本当は簡単である。自分の胸に手を当ててみて、心臓の鼓動を感じることが出来るだろう。それは生きている証である。自分が生きている限り命がる。仏教では命=ホトケという。この命が仏だと思えば感じることが出来るだろう。自分の命= 仏さまを感じることが、悟りへの第一歩なのであると説いている。またお経には、自分の命だから、とても大切な仏さまは自分以外 の命ある全てのもの、人に仏さまが住んでいることを忘れないということも説いてある。人を敬う気持ち、感謝する気持ち、尊いものを尊い、ありがたいと手を合わせる素直な気持ちを忘れない事という二つを話している。

では、具体的にどう生活していけばよいか?

まず、鏡を見て『大好き』と恥ずかしがらず言ってみて欲しい。この『大好き』という言葉は言うと必ず『き(い)』で終わり、自然と笑う顔になる。自分の命=仏を感じるということは、自分のことを好きになること、毎日笑顔で過ごす事である。

次にあなたの周りの人に『大好き』と思いながら、『ありがとう』と言ってみて欲しい。これを続けていくと仏さまを感じることが出来る。そして、たくさんの仏さまに出会うことが出来るだろう。

私の子供たちにも毎日一回以上は『大好き』と必ず言っている。子供たちは安心した顔になる。特に生まれてすぐ大病を患った息子は、発達が遅れていてなかなか言葉が出ないが、大好きと言うと、すごくうれしそうな顔をして、彼の気が向けば、大好きと言えるようになった。『大好き』という言葉は、魔法の言葉である。子供たちだけじゃない、本当は私の方が温かい気持ちになり、周りの人、 仏さまに支えられているのに気付き、感謝の気持ちでいっぱいになるからだ。

 

祐 海 合 掌

 

成長

平成18年8月1日

いっぱい笑って

大きくなぁれ 大きくなぁれ

笑いは心の栄養ドリンク

心の成長は無限大

大学時代の友人に赤ちゃんが生まれたので、上の文と絵手紙を書いてお祝いに行った。無事に健康で大きく成長してほしいという 願いを込めて書いたのだが、私の息子のように人には思いがけなく病気になってしまったり、病気が治っても後遺症が残り、それを一つの個性として一生付き合っていかなくてはならない時もある。あまり表情がなかった息子が最近よく笑うようになったのを見ていると、体の成長は人それぞれ違いはあるが、心の成長は無限に大きくなるものだということ感じる。

先日、スーパー銭湯に行ったときである。サウナに入っていたら中年女性が入ってきて、私の下の段に座りいきなり私の足を押してきた。少しずれると、「邪魔なんだよ!」と言ってきた。公的場所に私の場所もないのに全く自分本位の人だと腹を立ててしまった。大人になったら、体はもう成長しない。では、どこを成長させたらよいのか。それは心しかない。毒をはくより、笑顔で接し、思い やりの気持ち、謙虚な気持ちを忘れないで、心を大きく成長させたいものだ。

 

祐 海 合 掌

 

心の眼

平成18年1月1日

三ヶ月前に歩き始めた長男の大雲は、外での散歩が日課となって いる。この日課である散歩のため靴を履かせ外に出たときである。いつもなら靴を履いた途端、喜んで笑いながら玄関前の緩やかなスロープを行ったり来たりするのだが、このときは違っていた。歩き出さず座り込んで、上の方を見て目をぱちぱちさせていたのである。何かと思って同じ方向を見てみたら、冬の凛としたとても素晴らしい青空が広がっていた。あれっ?今日ってこんなにいい天 気だったんだとその時初めて気がついた。そして、近頃ますますおしゃまになってきた上の子は、時々私の顔を見て「ママー、ニコニコママになってよ」という。別に怒っていないのにどうしてそんな 事言うのかなと思って、鏡を見てみたら、眉間にしわを寄せ、本当 に怖い顔をしていた。今一番、目が離せない子供達の世話に追われ心に余裕がなくなっていたのが恥ずかしくなった。こういうときは御詠歌の名取先生が教えてくださった、真言を思い出している。

 

『オン ニコニコ ハラタテマイゾ ソワカ』

 

なんじゃこりゃ?と思うかもしれないけど、不思議とこの真言を唱えるとカリカリしてたり、ガツガツしてたり、クヨクヨしているのがバカらしくなってきて、くすっと笑ってしまう。多かれ少なかれ 誰にだってストレスがある。それをため込むと、イライラしたりムカついたりキレたりして、心が病んでくる。みんな「私は大丈夫」と思っていても、誰にでも体が風邪を引くように心だって同じく風 邪を引くのだ。今生きているこの命に感謝し、仏さまに手を合わせ ニコニコ優しい笑顔を忘れず、心を暖めて風邪を引かないようにし たいものだ。

 

祐 海 合 掌

 

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